国道9号線から、長府観光会館の道を入って、小川沿いに上流に向かっていくと功山寺がある。石畳のとても雰囲気よくのんびりと歩いて行ける。15分ほどで総門が見える。総門をくぐるとそこからガラッと雰囲気が変わってしまう。
功山寺 総門は、仏殿に次ぎ室町時代の古い建造物で、国の登録文化財ということであうr。
功山寺 総門
さらに総門から参道を行くと山門である。
禅宗とわかる重厚な山門は、下関市指定の文化財である。
功山寺 山門
山門の正面には、国宝の功山寺仏殿がある。
つんとせり出した禅宗建築は、鎌倉円覚寺舎利殿、東京正福寺地蔵堂と片を並べて貴重な文化遺産である。
檜皮葺の裳腰(ひさしやね)のある入母屋造りの禅宗様式の典型的な建造物で1320年に建てられたとされている。
国宝 功山寺仏殿
鐘楼は1695建立されたもの
法堂は新しい建物と思われる。
功山寺は、もともとは「長福寺」として、1320年に開山された。その後毛利家により「功山寺」に1650年に改名された。
このお寺は、守護大名大内氏が重臣陶晴賢(すえはるかた)が蜂起して、大内義隆を自刃させ、(大友晴秀)大内義長に後を継がせたが、毛利元就にこのお寺を包囲され、仏殿に入り大内義長が自刃し、大内滅亡の地となった。そして毛利の時代となった。
大内義長の墓は裏の墓地にある。
ここに名水があるが、功山寺の歴史の中、この水をいろいろな時代の人たちが飲んだことを思うと感動すら覚える。
功山寺というと高杉晋作「功山寺の挙兵」で有名である。
高杉晋作が、臨済宗の信者としての結びつきはない。一部観光的に、この一際目立つ像は昭和47年に他から移設されたものなのである。
高杉晋作が明治維新のひとつの流れをつくった一人であり、その歴史をこのお寺が見守っている。
ここの立て札にも書いてあるが、国宝仏殿や槇の木が、さまざまな歴史の節目に立ち会い、見守ってきた。
このまきの木も室町時代からのものと記されていた。
仏殿の中の公開が、2012-2014まで、3/15-6/15と9/15-12/15にある。
28部衆立像など鎌倉時代の仏像が見れる。
功山寺の国宝建造物である仏殿、それより歴史の出来事の地としての話もあわせて訪れると非常に興味深く、次はまた仏殿公開の時にでも来る機会があるといいなあ。