奈良 唐招提寺をたずねて




日本に戒律を伝えるため、5度にわたる挫折、12年に及ぶ苦難の末、ついに日本にたどり着き、聖武天皇をはじめとする人々に授戒し、日本にいろいろなものを伝えた鑑真和上。
唐招提寺は、鑑真和上の私寺から、弟子たちの力によって完成した律宗の総本山。
奈良時代の金堂、講堂などの伽藍は、今でもその雰囲気を感じる。
 


 南大門をくぐるり、白い砂利の向こうには、国宝の金堂が奈良時代をそのまま伝えてくれる。
金堂は、力強さというか風格というか、なにか違うものを感じる。
 



金堂は2000年から、約10年にわたり、創建以来はじめて、全解体による大規模修繕が行われた。2009年11月落慶法要を営み、また新たな風格を伝える。
 

 




講堂も金堂におとらず風格がある。
講堂には、講堂の本尊である弥勒如来坐像が中央の須弥壇に安置される。持国天、増長天が本尊を守る。
 




宝蔵と経蔵も国宝、奈良時代の寄棟造りである。
 



金堂と講堂の中間に2階建ての建物、国宝の鼓楼は、鑑真和上が仏舎利を奉安していることから、舎利殿と呼ばれる。1240年に建立、鎌倉時代の和様建築の代表である。
広い境内に金堂、講堂と圧倒される規模の建築物の中、こじんまりした2階建ての建物の割には存在感はある。